チェルノブイリ:ある養蜂家の体験 その2

2011年3月の東北地方太平洋沖地震と津波により福島第一原子力発電所事故が起きたとき,当時の勤務先に英国の養蜂誌編集長からお見舞いと,福島のミツバチについての問い合わせをうけました.欧州にはチェルノブイリ原発事故当時に各国の養蜂関係者が収集・分析したミツバチと放射能に関するデータがある.参考になればと送らせてもらうとの申し出も.原発事故がすでに他人ごとではなかったのですね.

 それをみると,西側各国は放射能の拡散状況モニター調査を即座に開始,そのなかでミツバチは低レベル放射線のモニタリングに適しているとの認識がありました.環境の中で飛び回るミツバチを測定することで,植物,大気,水中の放射線濃度を把握できると.分析してみると,ミツバチが蜜胃におさめて運ぶ花蜜にくらべ,その脚について大気に触れながら運ばれる花粉から,汚染の程度がより良く測定できとのことでした.

 一方チェルノブイリ原発周辺地域の避難対策は遅れていました.

「3週間後に家から移動させられることになって初めて,あそこの原子力発電所で大事故が起きたことを私たちは知らされた.うちの菜園から15kmしか離れていないのだから,放射能がここまで来るのはあっという間さ.私たちは分からなかった.けれどあの朝に,うちのミツバチはきづいていたんだろう,何か恐ろしいことがとても静かに,おきたことを.」

 写真はウクライナの田舎の住宅です.記事の養蜂家が住んでいた家も,こんなふうに果樹園が家の周りあったのでしょうか.彼の住んでいた地区はソ連崩壊後ベラルーシとなりました.ベラルーシの国土の99%は,チェルノブイリ原発の爆発により国際的な許容範囲以上の放射能に汚染されています.汚染はすぐには解消されず,当初30kmの範囲だった汚染指定地域は現在70kmにまで拡大されました.地元で「死の谷」と呼ばれるこの地域は,世界で最も放射能が高い環境であり,その中にあった2000の町と村は永遠に不気味な沈黙の無人地帯なのです.

本稿は下記サイトからEthnobeeologyに転載されました.

http://www.chernobyl-international.com/case-study/the-bee-keepers/

https://www.facebook.com/ChernobylChildrenInternational

調査報告は:

Oecologia (2012) 'Ecosystems effects 25 years after Chernobyl: pollinators, fruit set and recruitment' 

Biology Letters (2009) 'Reduced abundance of insects and spiders linked to radiation at Chernobyl 20 years after the accident'