ミツバチからの贈り物- ハチミツ その1 大昔のはなし

いつの時代もハチミツの濃厚な甘さを人々は求めました.よく知られるスペイン,アラーニャの洞窟壁画は紀元前6000年頃に描かれました.アフリカ大陸の南部,ジンバブエにもミツバチの巣からハチミツを「採集」する姿をえがく古い壁画がたくさん残っています.氷河期がおわり気候が温暖・湿潤化したことにより森林が拡大し,人々が草原にそだつ野生の大麦,小麦などの植物を利用する技術をおぼえて,農耕や牧畜が始まった新石器時代です.

しかしさらに古く,約8500年前の人間がすでに「養蜂」をしていたことが2015年に英国ブリストル大学の調査研究からわかりました.欧州各地と東アジア,北アフリカの150か所以上の新石器時代の遺跡から出土した6,400片以上の土器破片をあつめ,そこに残る化学物質を分析した結果,紀元前7000年ころに現在のトルコ・アナトリアにいた農民が蜂ロウを使っていた証拠をえたのです.

蜂ロウは安定した物質で,数千年後に発掘された土器からでもその痕跡をみつけられるそうです. 蜂ロウは色々な道具の使用に不可欠なものとして,たとえば儀式や化粧,医療で,さらにろうそくや防水材料として使われたにちがいありません.また粘土板で円筒をつくり,これを積み重ねてミツバチ巣箱とする方法は古代エジプトでしられ,現在も中近東でみられます.このような粘土巣箱の破片も出土したはずです.

蜂ロウの痕跡は時間の流れとともにアナトリアから北西方向に広がり,紀元前5000年ころには地中海地方の土器で見いだされ,特にバルカン半島では紀元前5800~3000年の大量の土器片で蜂ロウの痕跡がみつかったそうです.

何よりも甘く,ながく保存できるハチミツは,権力者が献納をもとめる貴重な交易品だったはず.農民は命がけで急な崖を登り,刺される痛さをこらえて,手に入れるしかない宝物だったのかもしれません.わずかなハチミツをもとめて不確実な「採集」に命を託すより,もっと多くのハチミツを確保できる,はるかに確実な方法として,巣箱でミツバチを身近に飼う「養蜂」の技術を見につけたいと切実に思ったでしょう.

新石器時代,農耕が広まるに伴い良好な訪花先がふえて,ミツバチも分布域を地中海周辺から拡大していったのかもしれません.写真はアナトリア高原のローマ遺跡にさくアンチューサと訪花したミツバチです.