ミツバチからの贈り物 - ハチミツ その2 エジプトのはなし

古代エジプトでミツバチは太陽神ラーの涙だと考えられました.大英博物館にあるパピルスには「ラー神の涙が地上に落ち,ミツバチに姿を変えた.ミツバチはその巣を造り,あらゆる種類の花を忙しく訪れた.そしてロウが作り出され,ハチミツもラー神の涙から創造されたのだ」とあるそうです.

図の上部中央に下エジプトを示すミツバチのヒエログリフがあります.

 パピルスという優れた記録用素材を持っていた古代エジプトでは,石に刻まれたヒエログリフ以外にも大量の貴重な情報が今日まで残されています.私は来日したエジプトのミツバチ生産物研究者のお手伝いをした折に,大変興味深いはなしを教えていただきました.

 神聖な起源をもつ神々の食べ物として,ハチミツは早くから天国と結びつけて考えら,イシス女神の再生に関わるイメージはミルクとハチミツ,全ての花の蜜,ハチミツの泉,はちみつ酒の井戸などと表現されました.

 ハチミツは神饌として神への供物となるほか,砂糖がまだ知られない古代で,貴重な甘味料だったハチミツとハチミツ酒はファラオ以下富裕階級の食卓に欠かせない食べ物でした.ハリスパピルスのへリオポリスのラー神殿への貢物の項に,年貢として納める野生巣のハチミツを採集するためにハニーハンターは,しばしば王家の射手に護られて,野生群を求めて野原を探し回ったとあるそうです.

 巣箱をもちいる養蜂も盛んにおこなわれ,紀元前2400年ころの養蜂場リストが最古の公式記録として残り,新王国時代のレクミールの墓(紀元前1450)の壁画には燻煙器をつかいながら巣板をとりだす養蜂の様子が描かれています.そこで使われている粘土板製の円筒形巣箱や筒状に編んだ篭を粘土で塗り固めた巣箱は,4000年以上の時を経た現在でも各地の伝統養蜂などで見られます.

 またナイル川にうかべた船に巣箱をつみあげて,岸辺の植物の開花に合わせて上流から下流へと移動,主な蜜源はオレンジ,クローバー,それにワタ.船の喫水線がある程度上昇したら,それは巣箱内に蜜がたっぷりたまった意味なので,採蜜作業をおこなう.古代エジプトで記録されたこのような移動養蜂が,じつは20世紀になっても昔ながらの巣箱をつかって行われていたとの報告があります.

 エジプトのハチミツ需要はそれでも地元の生産力をはるかに上回り,ハチミツはカナン,小アジアやさらに遠くから運ばれていました.