ミツバチからの贈り物 -  蜂ロウ その3

ロストワックス法(蝋型法,失蝋法)は日本でも金属加工業や芸術の分野で使われています.ロウが彫刻しやすく,また熱で溶けることを利用した鋳造法で,細緻で複雑な形状のものを繰り返して作れるため,紀元前に青銅器の鋳造法として既に主要古代文明のメソポタミア,インド,中国に伝播,ギリシャには300BC頃に伝わって盛んに使われたとのこと.

 世界の有名な銅像の多くがこのロストワックス法による制作です.マダム・タッソーの蝋人形はいわばロストワックス法の最初の段階である,精密に彫刻した蜂ロウ製の像.これを粘土で塗り込め更に焼しめたのちに,開口部から中の溶けたロウを出せば,鋳型が完成します,そして失われたロウ(ロストワックス)の代わりに溶けた金属を注ぎ込む.粘土の鋳型をあらかじめ分割し,型を壊さずに中身が取り出せるようにしておけば,全く同じ金属製の像が何回も制作可能,中心部に空洞を作り金属使用量を減らすこともできました. 

 もうひとつ,古くからの重要な蜂ロウの利用に染色があります.バティックは二千年以上前にインドネシアで始まった蜂ロウをもちいたロウケツ染めです.私が子供の頃には丈夫な木綿のジャワ更紗の大きな布が,タンスのほこりよけや布団用風呂敷に使われていました.その技法はジャワ島を中心に東南アジア,極東,中央アジア,南アジアへと大きく広がり,19世紀にはオランダが植民地支配していたジャワからロウケツ染め職人をオランダに連れて行き,技術を学んだとのこと. 

 熱帯アジアには開放空間にタタミ半畳分ほどの大きくて厚い一枚巣を造るオオミツバチが生息しており,その巣から大量のロウが採れるので,再利用できるとはいえ,かなりのロウが必要なロウケツ染めが可能でした.オオミツバチのロウはインドネシア養蜂業の重要な生産物として現在も流通しており,バティック制作に使われています.しかしオオミツバチが分布しない極東地域では,例えば絹地のロウケツ染めがさかんだった隋・唐時代の中国では,在来のトウヨウミツバチのロウを使ったのでしょうか.それとも南方からはるばるオオミツバチのロウを取り寄せたのか?日本には飛鳥・奈良時代に伝えられ,正倉院御物にも含まれますが,奈良時代を過ぎると技術は衰微し,ひろく普及したのは明治以降だそうです.奈良時代は養蜂がまだ日本に定着しておらず,蜂ロウが入手できなかったのかなと思います.