ミツバチからの贈り物 -  蜂ロウ その2

古代世界での蜂ロウの利用をその2,その3で見ていきます.

エジプトではファラオのミイラ作りや,壁画などでおなじみのカツラの形状維持に蜂ロウを.その他パピルスの保存,壁画の保存,副葬品の小像などの権力者のためのものに限らず,書類の封をする封蝋,酒を入れるアンフォラのうち塗り,造船,塗装,魔よけのお守りなど,日常生活で欠かせないものとなっていました.

 B.C.1550年頃に編纂された医薬処方集でも,蜂ロウへの言及が多数見られます.

 アレキサンダー大王の部下だったマケドニア出身のギリシャ人が,エジプトのファラオとなったプトレマイオス朝では,ロウ引きの書字板が使われ始めました. 

 ギリシャ神話にはハチミツや蜂ロウに関わる話がいくつかありますが.芥川龍之介の作品で取り上げられて,日本人になじみ深いのがイカロスの話でしょう.ミノア文明が栄えたクレタ島でミノス王の命により迷宮をつくったギリシャの建築家ダイダロスは,その後王の怒りに触れて息子イカロスとともに高い塔に幽閉されました.発明家でもあったダイダロスは,鳥の羽を蜂ロウで固めた翼を身に着けて空を飛ぶことに成功し,塔から脱出してアテネまで飛び帰りました.一緒に脱出したイカロスは父の忠告を聞かず,太陽に近づきすぎたため,その熱で羽を固めたロウが溶けてエーゲ海に墜落死したというもの.古代ギリシャの人々にとって,クレタ島と養蜂,蜂ロウの利用が身近なものだったこと,蜂ロウが接着剤として使われ,熱により軟化する(融点62-65℃)性質が広く知られていたことがうかがえますね.

 ローマ時代には蜜ロウに色素を加えて溶融し,固まらないうちに描いて板などの表面に焼き付けるエンカウスティーク技法で肖像画や神話が描かれました.蜂ロウは酸化や紫外線の影響,虫食いなどに強いので,大英博物館にあるそれらの肖像は今日も色鮮やかです.