クマのプーさん誕生秘話

ハチミツがどんなにおいしくてすてきな食べ物かを,世界中に伝えてくれている有名なクマといえば,クマのプーさんですね.イギリスのA.A. ミルンが書いた4編の児童小説には,幼い息子クリストファーと彼のクマのぬいぐるみ,そして森の仲間たちとのゆかいなエピソードが綴られています.

ぬいぐるみではない,本物の小熊の大冒険が始まったのは1914年8月24日,カナダでのことだったと,クマのプーさん誕生秘話がつたえられました.

 クマのプーさん(原題Winnie-the-Pooh/ウイニー・ザ・プー)は幼いクリストファーがクマのぬいぐるみにつけた名前で,その意味は,ちょっと足りないおばかなウイニーといったところ.その ハチミツ大好き”ウイニー“についてのすてきな話を SNS のBeekeeping History がfacebookで伝えました.

 1914年8月24日にカナダ陸軍の獣医であったH. コールボーン中尉が一匹の子熊に出会ったのです.その年に始まった第一次世界大戦にカナダはイギリス帝国の一員として参戦しました.当時はウマも軍隊の重要な一員でしたから,獣医さんが沢山所属していたのですね.英国に向けて出航すべく兵員を載せた列車はカナダの東海岸に集結していきました.コールボーン中尉はその隊が乗る列車がオンタリオ州ホワイトリバーに停車中,アメリカグマの小熊を連れたひとりの猟師に会い,その母熊は猟で殺されたと聞きました.まだ幼い小熊が母親なしで捨て置かれたら,まず生き延びることはできません.

 猟師に20ポンド払ってコールボーン中尉はその小熊を引き取り,戦争前まで住んでいた故郷マニトバ州ウィニペグにちなみ,”ウィニペグ・ベア“と名付けました.ウィニーはコールボーン中尉とともに英国に渡り,所属する隊が英国南部のソールズベリー平原に駐屯すると,隊のペットとして多くのカナダ軍兵士にかわいがられました.

 やがてクマのウィニーは中尉からロンドン動物園に寄贈されました.そしてここを訪れたA.A.ミルンに強い印象を与えたのでしょう,一連の児童書における愛すべきキャラクター,“ちょっと足りないおばかなウイニー/Winnie-the-Pooh”の誕生となったのです.クマのウィニーは1934年にロンドン動物園で死にました.

 1926年に発表されたA.A.ミルンの『Winnie-the-Pooh/クマのプーさん』は、各国語に翻訳され,今も世界中で愛されています.カナダでは文学に登場する偉大なキャラクターとして,赤毛のアンにつづいてプーさんが第2位だそうです.

 コールボーン中尉のふるさと,ウィニペグ市在住の作家,M.A.アップルビーは,自分の父親が中尉の息子と親友だったという縁もあって,クマのプーさんとウィニペグとのつながりを広く伝えたいと願い,ここでお知らせしたウィニーについての資料をまとめました.同市の動物園アシニボインパークにはプー・ギャラリーがあって,ミルンの本の挿絵作家E.H. Shepardが描いたWinnie-the-Pooh/クマのプーさんとハニーポットの絵を見ることができます.公園内にはコールボーン中尉とクマのウィニーの銅像もあるそうです.

 ウィニペグが州都であるマニトバ州はカナダの主要ハチミツ生産地の一つで,日本にも沢山輸入されています.

 なお写真は,ロシアで養蜂が盛んな,バシキールのハニーポットです.あちらのクマもハチミツに目がないようですね.